株式会社 三松
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株式会社 三松 - 経営理念

会社概要
 商 号

株式会社 三松

 本 社

 本 部




〒144-0051 東京都大田区西蒲田7-66-4

〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷2-39-3 千駄ヶ谷ホリタン322号 
電話:03-6434-7251
FAX:03-6434-7253

所在地マップ

 資本金

3,000万円

 代表者

代表取締役 工藤 広平

 創 業

1937年

 設 立

1952年3月27日

 事業内容 

婦人服の販売




ご参考:

株式会社 三松 創業者
落合 憲治 - おちあい・けんじ 略歴

大正2年12月23日 山梨県南都留郡秋山村に誕生
昭和5年 東京市中野区中野 山田屋呉服店に入社
同 12年 杉並区荻窪にて独立
共同で呉服小売業『つるや』開業
同 26年 大田区西蒲田に『三松』個人創業
同 27年 有限会社に改組 代表取締役に就任
同 62年 株式会社に改組 代表取締役会長に就任
平成2年 取締役会長
『繊研新聞』平成元年6月28日・29日掲載号より
(1) 行商で独立する

 私は山梨県南都留郡秋山村で十一人兄弟の四番目として生まれました。高等小学校卒業と同時に昭和5年、現在の東京・中野区沼袋の山田屋呉服店に奉公。親戚のものが、山田屋呉服店の家屋を借りていた縁からでした。実家は農業ですし兄が三人いるということになれば家を出る、東京へ出るというしか道はなかった時代です。別に東京にあこがれるということではなかったし、主として呉服店を営むということは毛頭考えていませんでした。
 12年、行商で独立、宝仙寺から三鷹にかけて第八車を引いてあの辺一帯を行商する毎日でした。お得意先といっても山田屋呉服店当時のお客には手をつけなかったのでゼロからのスタート。当時は農家が多く、そうした人がお得意様でしたが、縁があって作家の武者小路実篤さんの奥さんと知り合い、いいお得意さんになっていただきました。また、農家の方とだけでは大変でしょうということで知り合いの、いいお得意さんを紹介してくれたこともありました。
 中野から三鷹まで毎日五里の道のりを商売して歩きましたが、体が丈夫だからできたことですし両親に感謝しています。山田屋呉服店のご主人にはお客を大事にすること、生活態度をまじめにすることを教わりました。今もってぜいたくに走らないこともこの当時の苦労からです。

(2)三人で共同経営

 終戦後、23年、今の杉並区荻窪、環八線沿いに三松衣料品店を設立しました。これは山田屋呉服店につとめていた三人が一緒になって作った会社です。そのうちの一人が呉服専門店三松の前社長、斎藤祐次さんでした。齋藤さんは私より十以上年上でいろいろと面倒を見てもらいましたが、齋藤さんの妹を嫁にもらわないかということでもらったのが、家内です。
 そうしたこともあってもう一人の中村正一さんと三人で共同経営で事業を始めたわけですが、仲がよくてけんか、悪くてけんかということもあって三年いっしょに経営しましたが、26年に発展的に解消、それぞれ独り立ちすることになりました
 26年、現在本社のある蒲田で創業するわけですが、それまでの間、東京から千葉まで出店場所をいろいろ歩き回りました。赤羽、新小岩、千葉など候補地がありましたが、結果として蒲田になり、十二月に開店にこぎつけました。26平方メートルの小さな店でした。

(3)洋装生地を扱い成功

 扱ったのは従来の呉服ではなく洋装生地が主体。戦後の女性の動向をみて踏み切りました。この店は売れて売れて仕方がなかった店で28年に鶴見に支店を開くほどかせいでくれました。当時五百万円で手に入れました。
 この時に支店政策で多店舗化をしようという気持ちになり、36年、埼玉県の蕨に三号店を開店しました。当初は順調にいきましたが、その後、量販店が出店するなどで立地変化があり苦労しました。
 戦前奉公に出てきて、戦後、支店政策をとっていたこの時期が第一の私の青春時代いえるのではないでしょうか。

株式会社 三松 参考写真
創業者(落合憲治氏)と
長男(前代表取締役会長 落合栄治氏)
株式会社 三松 参考写真
「顕彰碑」は、出身地秋山村に今も現存
(4)思い切って店舗処分

 鶴見、蕨と支店を開設したものの、量販店出店の影響を受け、商店街立地条件が変わって、順調にきた店も伸びが止まり、二年目には赤字を出すほどになってしまいました。これではよくないと考えていましたが、当時洋装生地のお客の80%がLサイズの体型であったことや蒲田で懇意にしていた方が、Lサイズ専門店を開き評判をとっていてその店の内容を聞いて、これからはLサイズ専門店の時代だと決意、鶴見、蕨の2店舗を思い切って処分、新たな道を歩むことにしました。その記念すべき第一号店となったのがダイエーの赤羽店です。
 いくらか生地も扱いましたが、Lサイズの既製服が好評なことから翌年には完全なLサイズ専門店としました。それからは向ヶ丘、横浜、溝の口へと出店しました。

(5)チェーン化を推進

 今でも覚えていますが、一号店開設の時、お客様が「今までは恥ずかしい気持ちで服を買っていましたので、こういう店ができるのを待っていました」とおっしゃっていただきました。お客の欲しがるものを提供すれば商売になるし、商いの喜びになるということに改めて気がつきました。
 お客の喜ぶものを、とはいえ、当時のLサイズ婦人服市場は今と違って満足するものが少なかったのが実情です。Lサイズを扱うメーカーは極端に少なく、満足な品ぞろえができません。そうした状況の中で私どもと同様にLサイズ専門店をスタートした柏屋の柏木社長、ナヲミ洋装店の小林社長と勉強する中で一歩進んでメーカーに頼み込み、われわれの欲しい、お客の欲しがる商品を作らせたこともありました。
 そのうちにメーカーも育ってきたので本来の専門店らしい店を打ち出せることになりました。それからチェーン化を積極的に推進、一週間のうちに3店舗と当時にしては驚異的なスピードで拡大しました。今年3月に開店した川西店で現在65店舗の規模となりましたが、今後も百店舗めざして広げていきたいと思っています。
 出店の反面、人からよくいわれるのですが、三松さんは店の撤退はほとんどやりませんねと。鶴見と蕨の2店舗を閉めてからはこれまでに3店舗しか閉めていません。これは出店するまでは慎重に検討、出店したからには最大限努力しましょうという私の考えによるものです。

(6)商売一筋の人生

 私の性格かもしれませんが努力の積み重ねを強調しているんです。最大限の努力をしないで途中で投げることはしたくありません。
 蒲田創業当時とLサイズ専門店進出、この二つがエポックメーキングといえます。私の青春といえるのはこの二つの時期にそれぞれ最大限がんばっていたころではないでしょうか。趣味もなく商売一筋できた人生でもあります。最近、本社を拡充、本部機能を充実させましたが、Lサイズ婦人服専門店のトップとして今後の飛躍をめざして会長として努力していきたいと考えています。




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